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国立屋内総合競技場 (代々木体育館) 東京都渋谷区 1964 |
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1960年代に入り日本の経済は非常なスピードで成長し、私たち建築家仲間も未来指向型になってきた。何か新しいものを考えていかなければならないということが私たちに訴えかけていた。 その頃コンクリートが非常に好きで、コンクリートでどういう風にして新しい形をつくり出せるだろうか、コンクリートは無限の形をつくり出す可能性を持っていそうだと考えたのである。勿論鉄の協力が必要であるが。 スイミングプールを真ん中に、周りに15,000人の観客を置くスケールの大きな空間をつくるには、とてもコンクリートだけでは無理である。鉄をテンションに使い、コンプレッションはコンクリートにし、これをうまく組合せてテンションストラクチャと圧力に抗して建っているストラクチャをコンセプトとして組合せる方法を考えたのがオリンピックの建物である。 概してスタジアムは閉鎖的になるが、エキサイトする観客とスポーツをする人達が共感できる雰囲気をつくり出す形はないかと、それから観客15,000人がきれいに動くように、休憩時間にその人たちが歩くときにもきれいなムーブメントが起こるような形をと強く考えた。ドームというのは音の問題を考えたり、周りから下を眺めた時、上があまりぱっと開いていると緊張感がない。多少中に狭くなり又上にせり上っている懸垂線のカーブがきれいだろうと、ほぼ予想通りの形になった。 建築の形にも非常に興味があるし、精力を注ぐことも多い。しかし周辺との関係をどうやるか、この場合、他の二つのスタジアムの関係、原宿と渋谷駅からの人間の動きをどうさばくかという問題が次元の違う問題として私にあった。そこで人間の交通も立体交差させることになり、道、道の建築、広場といった手だてを導入することが提案された。 オリンピックの間、何度も足を運んで様子を見に行ったが、人々の動きはほとんど期待通りにスムーズで、その流れはとても美しく感じられた。 オリンピックの組織委員長のブランテージ会長も「あの競技場は本当に素晴らしい。スポーツをやる人を非常に鼓舞しました。また美を愛する人びとの記憶の中にはっきりと刻み込まれるでしょう」と言われ、やっぱり建築にはそういうことが大事なんだと実感した。 その時代の精神を象徴することで建築は人間性を得ることができると強く確信させられた最初の一歩であった。 象徴という問題は構造主義をさらに発展させ、人間性というものを一層深く考える立場ともいえた。 |
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